草加小話

埼玉県草加市での暮らしで拾ったエピソードとそうでないエピソードを綴ります。

追悼 紙切り師 林家二楽さんインタビュー(2015年)転載

9月27日に紙切り師の林家二楽(にらく)師匠が亡くなりました。58歳でした。
草加市在住で「そうか宣伝隊長」も務めるなど草加と縁の深い方でした。
草加のタウン誌『草生人』の2015年「草加伝統芸能」特集でインタビューしたことがあるので、追悼の気持ちを込めて転載しようと思います。

草加は終(つい)の棲家(すみか)

林家二楽さんは春日部市生まれで草加市在住の紙切り師。落語協会所属。お父さんは紙切り師の2代目林家正楽(しょうらく)さん、お兄さんは落語家の桂小南治(こなんじ)さんだ。
お兄さんの落語と二楽さんの紙切りのコラボレーション「紙工(しこう)劇落語」や、OHP と照明・音響を駆使した「紙切りSTORY・二楽劇場」を各地で開催している。
そうか宣伝隊長」の1人である。

落語+紙切り

●落語と紙切りが組み合わさった複合的な舞台はどこから生まれたんですか?

二楽 東北に営業に行ったとき、帰りに宮沢賢治記念館に寄ったんです。そしたら宮沢賢治の「やまなし」という詩のナレーションに合わせて影絵が出てくる、幻灯スライドがありました。
 私は物語を自分から発信してお客さんに届けられるようなものが、ゆくゆく紙切りでもできたらいいなと思っていたんです。だからその幻灯スライドを見ながら、これ、落語と紙切りに置き換えてできないかな、と思ったのが始まりですね。もうかれこれ15年ぐらい前になりますかね。
 落語+紙切り。1+1が2や3になるといいけど、1+1が0.5になるのではという危惧があったんですけど。まあ始めてみて、試行錯誤して……。試行錯誤のもじりでもあるんですよ「紙工(しこう)劇落語」っていうのは。で今に至るわけです。

お兄さんである落語家桂小南治(現三代目桂小南)さんとコラボして、紙切りに映像や音響を加えるドラマティックなステージを見せていた。
イカ天ブームからパンクバンドへ

●この世界に入ったきっかけは?

二楽 うちのおじいさんが春日部で農家をやってて、父はその長男だったんですが、これからの春日部の米作農家は見通しあまりよろしくないから、何かほかのことをやってもいいと言われたので、落語の道を選んだ。ところがなまりがあったんで紙切りをやるに至ったわけです。

●二代目紙切り林家正楽(しょうらく)師匠ですね。

二楽 はい。その子供が兄と私ですが、兄はちっちゃいときから英才教育を受けていた。
 父と兄が向かい合って「ぞうさんはそう切るんじゃない、キリンはこう切るんだ」って話しながら紙切りをやってた。それが3、4歳ごろの私からは楽しそうに見えたんですよね。
 混ぜて欲しいんだけども、「今兄貴に教えているんだからお前は向こう行ってな」みたいな感じになっちゃって。
 それでも見てもらいたいもんですから、たとえば馬かなんかを切ってるところで、「こんなの切ってみたよ」って翼をつけてペガサスにしてみたり、角をつけてユニコーンにしてみたりとか、変化球のものを見せるんですよ。
 そうすると父は「うるさい! お? ううん?」って興味を示して、「翼はもうちょっとこう斜めのほうがいいよ」と、こっちに気を留めてくれる。そういうことをやっていた。

●そのまま弟子にはならなかった?

二楽 思春期のころになるともう父親が嫌いになる時期ってあるじゃないですか。御多分にもれず私もそうなって。
 ちょうどそのころ、「イカ天ブーム」ってのがあったんですよ。「いかすバンド天国」。あれにものすごく触発されて、高校生のころからバンドをやっていた。パンクロックにのめりこんで、それこそ髪の毛も金髪のモヒカンにして、革ジャンに鋲打って、なにかっつうとベロ出して中指立てたりとかして活動してた。
 短大を卒業しても、バンドで食っていきたいっていうはかない夢を追いつつ、バイトをしながら生活していた。そんときのバイトがあとで活きるんですけど。

いかすバンド天国:TBS で放送された深夜番組『平成名物TV』の1 コーナー。正式名称『三宅裕司いかすバンド天国』。通称「イカ天」。1989 年2 月11 日〜1990 年12 月29 日放映。

●バンドはうまくいきましたか?

二楽 ところがライブやってもお客さんが来ない。私はベースを担当してたんですが、全然下手くそでリズムもとれなくて、やれ走ってるとかもたってるとか言われたりして。
 あまり悔しいので、曲と曲の合間のおしゃべりのときに、子供の頃覚えた紙切りを披露した。うさぎかなんかを切ったんですよ。そしたら見に来てた革ジャンにモヒカンのあんちゃんたちが「オー!!」って。あれ? 俺ベースよりこっちのほうが喜ばれるんだ!

紙切りとの再会ですね。

二楽 そのときに馬鹿な私ながらに考えたんです。自分はベースという楽器を死ぬまで弾きたいのだろうかと。そして気づいたのは、私はただ人前に自分というものをさらけ出したかったんだなと。その手段として今までは音楽をやってたけど、こんなに身近に、こんな人から喜ばれる、しかも父親がやっている紙切りという芸があるじゃないか。
 それまで一言も親父に言ってなかったんですけど、初めて「紙切りやりたいので弟子にしてもらえますか」と言いました。
 父は「やってもいいよ、やるんだったらやりなさい」と言ってくれました。

バイト経験が舞台に役立った

●バイトがあとで活きてきたというのは?

二楽 いろんなバイトをしたんですけど、中でも一番長くやったのが音響と照明をやっている小さな事務所でした。
 寄席の世界に入ったときに、その照明と音響を見て愕然としたんですね。ほんとに裸電球的なもので顔を照らしてる。
 当時はバリライトだムービングだといって、操作盤でライトの色や向きを変えたり模様を出したりする照明が出始めのころでした。こういうのを寄席の芸人が使わない手はないよな、と思ったんです。

●二楽さんの舞台は高度な照明を駆使していますからね。

二楽 ひどい話、地方のあまり稼働していない会館とかでの普通の落語会で、明るくしてください、というとほんとにその場で吊ってある灯りをただ点けるだけで、これちょっと動かしてくださいと言うと、こんどのカラオケ大会で使うように合わせてあるからもう動かせないって。
 馬鹿野郎!それ動かすのがお前らの仕事だろ!って喧嘩もしたこともあります。
 そいうときは「エスエスを足してください」みたいに、横から照らすライトがエスエスですが、そういうふうに言うと「あ、知ってる人だ」って見直してくれて、やってくれます。マイクでもSHUREのSM57くださいって言えば持ってくるんですよ。
 寄席の世界の人は無頓着なんですけど、これからは地方の会館などでやることも多いから、そういうノウハウをこっちから発言していかないとなかなか広がりが出ないんじゃないかなと思います。

●たまたまやったことが活きてますね。

二楽 そうですね。あ、回り道じゃなかったんだ、と思いましたね。
 仲間や先輩方からも、お前やけに詳しいねって、「これ、なんて言うんだ?」って聞かれるようになって、アドバイスしたりするようになりました。

今でも指にハサミだこが残ってます

紙切りの技術はとても高度ですが、どうやって身につけたんですか?

二楽 からだで覚えちゃってるので。稽古の仕方は、相対していると左右が逆になりますので、師匠の横に座るんですね。それで切るから見てろって言われて。馬でもなんでもこう切るんだ、こう切るんだって。あと、見本を渡してもらって、それを見ながら切れるようになるまで切る。
 箸とか鉛筆はどんなに熱があってもどんなに酔っ払っても使える。ハサミもそうなるぐらいまで手になじませろって。
 修行時代は一日何十枚じゃない、三桁になるぐらいまで毎日切ってました。なので今でも指に「ハサミだこ」が残ってます。修行時代はタコが何度も破れて、血が出て、また破れて、そうするとこういう豆になって。

ライフワークにしたい単独ライブ

●毎年夏に開催している、ご自身の会「二楽劇場」では、紙切りの表現の可能性を模索しながら、通常寄席でやられないステージを行っているそうですね。

二楽 自分だけで1時間半から2時間、単独ライブをやってます。毎年新作のネタおろしです。
 いつかはそれこそ落語に負けないくらい、お客様に笑って泣いて観てもらえるステージにしたい。そんな気持ちで毎年公演に臨んでいます。私のライフワークです。

紙切りのレパートリーはどれくらい?

二楽 それはいくつとは言えないです。リクエストされたものを切らなきゃいけないわけですから。でも頭の中にいろんな引き出しがあって、たとえば動物の引き出し、女の人の引き出し…。その引き出しを開けると中にまた細かい引き出しがいっぱいある。そのパーツを組み合わせて作るっていう感じ。

願いごとは必ず草加神社へ

●「そうか宣伝隊長」に任命されたのを受けて、何かやりますか?

二楽 新たにこれをやろうということは考えてません。今までも草加のことはネタにさせてもらってましたから。
 宣伝隊長は、春馬兄さんからお声をいただいたし、子供の名付け親である「草加神社のおじさん」が市長になって宣伝隊長にって言ってくれるんだったらやろう、っていう。

草加神社には親しんでいるようですね。

二楽 先代から「お願いごとする場所はひとつって決めてそこでお願いするようにしなさい」と教えられているので、私は家内安全とかなんだとかってのは全部草加神社にお願いしています。そうじゃないとお礼参りに行けないですから。
 自宅の前と横が昔からやってる農家の方で、季節ごとに玄関にダイコンや枝豆をどんと置いて行ってくれるんです。それを人に話したら、ごんぎつねみたいだって言われたんですけど(笑)、それがありがたい。
 適度に都内にも近くそして自然も残っていて。草加は終(つい)の棲家ですね。
(聞き手:染谷彰 『草生人2015/春』より)