松本隆によるはっぴいえんどの楽曲の歌詞は「です」という語尾が特徴的だ。日常的で口語的で丁寧。
「風をあつめて」(『風街ろまん』(1971年)に収録)ではこんな連発が見て取れる。
「見えたんです」「見えたんです」「見たんです」「翔けたいんです」
細野晴臣の歌声を無視して文字だけを追うと、わかってください! 本当なんです! と必死に訴えているように見える。
これを会話形式にするとこんな感じになる。
「君は何を見たんだ」
「汚点だらけの靄ごしに起きぬけの露面電車が海を渡るのが見えたんです」
「それから?」
「伽藍とした防波堤ごしに緋色の帆を掲げた都市が碇泊してるのが見えたんです」
「本当か?」
「ひび割れた玻璃ごしに摩天楼の衣擦れが舗道をひたすのを見たんです」
「それで?」
「それでぼくも風をあつめて風をあつめて蒼空を翔けたいんです」
「……」
まるで取り調べの情景だ。
見えたものを描写するなら、
「汚点だらけの 靄ごしに起きぬけの露面電車が海を渡っていた」
「伽藍とした 防波堤ごしに緋色の帆を掲げた都市が碇泊していた」
「ひび割れた 玻璃ごしに摩天楼の衣擦れが舗道をひたしていた」
「それで ぼくも風をあつめて 風をあつめて蒼空を翔けた」
と書けばいいはずだ。
しかしこの口調では、現実にはない情景を現実にあるように描写した詩的表現だとしか思えなくなる。美しいファンタジーだと。
いっぽう「見えたんです」と繰り返し強調する姿を想像すると、ああ、この人には見えたのかもしれないな、と思えてくる。現実で物体で実在なのだと。信じてくれないかもしれないけど、と必死になって訴えている。追い詰められた危ない精神状態かもしれない。
そしてもちろん風をあつめて蒼空を翔けることなんてできない。でもだからこそどうしても蒼空を翔けたいんだ。この衝動は払いのけることができない。
「風をあつめて」は幻覚と衝動の歌だ、という見方もあるかもしれない。