草加小話

埼玉県草加市での暮らしで拾ったエピソードとそうでないエピソードを綴ります。

1981年のananが挑発的だったことを思い出した

実家に『anan』の1981年9月4日発売298号があった。

表紙に「原宿にあきた!」と書かれたこの号は10日に1回発行から週刊に切り替わった最初だったと思う。

表紙はイラストで、モデルはくればやし美子。

※くればやし美子は大島弓子の漫画の主人公のような姿かたちだと思った。

さて、「原宿にあきた!」はかなり挑発的だった。

当時僕は大学生で、キャンパスのほとんどの女子たちのファッションはニュートラ(あるいはハマトラ)かサーファーだった。雑誌は『JJ』(ニュートラ)や『Fine』(サーファー)。

ニュートラはブレザーなんか着て保守的(コンサバ)な服と高級ブランドのハンドバッグを持ってるイメージ。サーファーは茶色いロングヘアーとTシャツやポロシャツにジーンズで超カジュアル。

ananの「原宿にあきた!」号は、特集ページをめくるたびに、キャンパスを席捲する流行のファッションを、ワンパターン、悪趣味、没個性、ジャリっぽい、と切り捨てる。
ananは本当の「ファッション」を提言する。

それ以降に発刊した特集展開は、「脱・ニュートラ」、「ブランド信仰は消えたか?」、「金子功 ミスマッチ感覚は、女だけに与えられた特権だ!」……。

このananの挑発は、女子大学生たちにはあまり響いていなかったと、当時のキャンパスを思い浮かべてみて感じる。

さてそのころ自分が何を着ていたかはあまり覚えていなくて、古着が多かったかなあ……。

f:id:jitsuni:20200521145156j:plain