草加小話

埼玉県草加市での暮らしで拾ったエピソードとそうでないエピソードを綴ります。

『ゆめまち観音』は汚れた部分、弱い部分を消し去ろうとするお上や世間の空気に対する違和感の表明か

 9月11日(金)、浅草活弁祭りに行きました。場所は浅草木馬亭です。

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 ■全国10名に満たない活弁士、そのうち2人は草加市在住

 主催者は草加在住の活弁士、麻生八咫(やた)さんと、その弟子(娘でもある)麻生子八咫(こやた)さん。子八咫さんは現在東京大学大学院博士課程で学んでいる才媛です。専攻は「表層文化論」。元東京大学総長のフランス文学者、蓮實重彦さんが創始した学問ジャンルですね。

 そもそも活弁とは何か。

 昔の映画には音がない、「サイレント映画」でした。そこで、弁士がセリフや説明をスクリーン脇でしゃべったのでした。

 大正から昭和初期にかけて活動写真は娯楽の王様で、活弁士も人気の的でした。ところが音のついた「トーキー映画」が出現してからは、活弁士は活動場所を失い激減しました。

 現在、現役活弁士は全国に10名いないのではないか、と言われているほど貴重な存在です。そのうちの2名は麻生八咫さんと子八咫さん。草加市にいるのです。

チャップリンの「街の灯」の上演中止

「浅草活弁祭り」は2日間に渡って開催され、1日目は「瞼の母」、「瀧の白糸」「ゆめまち観音」が上演され、2日目は「瀧の白糸」が上演されました。

「瀧の白糸」がダブってますが、当初は1日目にはチャップリンの「街の灯」の上演が予定されていたのに直前に変更となったのです。

 当日配布された印刷物「こやた通信vol.3」には「演目変更に関するお詫び」が書かれていました。その理由については、「本公演のために、事前準備をして参った次第ではありますが、公演間際の突然の事態で未だ原因が分からないのが実情です。」としか書かれていないためわかりません。権利者からの上映許可が取り消されたのでしょうか。

 チャップリン映画は麻生活弁の重要な題材なので、今後の動向が心配です。

■現代活弁映画『ゆめまち観音』

 さて、ゆめまち観音』は、麻生子八咫さんが活弁をつけることを前提として作られた、現代活弁映画です。

 初演は2008年。

 上映セットはすべてジオラマ。

 出演者は小さい人形です。

 主な舞台は浅草。

 時代は関東大震災前。浅草には明治期に建設された凌雲閣(りょううんかく)、通称「浅草十二階」という東洋一の高層ビルがあったのだそうです。この映画で知りました。

 そして浅草十二階の下の一帯は繁華街が形成されていましたが、おもに売春宿で賑わっており、通称「十二階下」と呼ばれていたそうです。

 そこに生まれた女性が主人公です。

 浅草十二階は関東大震災で壊れてしまいました。

 さて、時代は東京オリンピックを控えた昭和39年に飛びます。

 東京は国際都市として生まれ変わろうとしており、いかがわしい場所がどんどん浄化されていこうとしていました。

 浅草もすっかりクリーンになってしまい、十二階下の名残は消えていました。

 主人公の女性は、十二階下の縁者を探して、探索の旅に出ます。

 ノスタルジーの映画、古き好き時代を懐かしむ映画かと思って臨んだのですが、むしろ古き貧しき暗き時代を暴く映画のようでした。そして、汚れた部分、弱い部分を消し去ろうとするお上や世間の空気に対する違和感の表明も聞こえてきました。

 偶然にも現代の東京は、二度目のオリンピックを控えています。今また何か無理が通ろうとしているかもしれません。

参考:映画「ゆめまち観音」 公式サイト

■三遊亭あほまろ監督が登場

 上演後、監督の三遊亭あほまろさんが登壇しました。彼は主人公、すわなち人形を持っていました。なんと人差し指ほどの身長しかありません。

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↑三遊亭あほまろ監督と麻生子八咫さん。手に持っているのが映画に登場した人形。

 とすると、ジオラマはいったいどんな小ささなのかと驚きました。家屋、家具、衣服、小道具のリアリティはほんとにすごかったです。

 また、そんな小さい世界をどうやって撮影したのかと、これまた驚嘆しました。制作協力円谷プロということで、日本に蓄積された特撮のノウハウが活かされたのでしょう。

 光と影が動き、列車が動き、カメラは奥へ、左右、上下へも自在に移動撮影している、そんな世界の中で、人物(人形)は全く動きません。

 その独特な感覚、この世からずれた世界を見ているような感覚の説明ができずにいるのですが、実写でもアニメでも作り出せない映像世界です。

 監督によると、初演以来、順次日本各地で上演して回っているとのことです。

 また、監督は「全国一斉ロードショーはできません。なぜならば、麻生子八咫さんの活弁が必ずついていなければいけないからです」と言っていました。

 麻生子八咫さんも「私は一人しかいないので」と応じました。

 映画は本来、出版物と同じ複製芸術なのですが、活弁がつくことで「ライブ芸術」になります。「ライブ」はその時その場所で起こる特別な出来事です。

 近年、音楽もCDよりライブが重視されるようになっています。

『映画ライブ それが人生』と、麻生八咫さん子八咫さんがその著書で宣言したことの意義が今よくわかります。

『ゆめまち観音』の上演予定や、麻生八咫さん子八咫さんの活弁公演予定はホームページをで確認してください。

活弁士 麻生八咫・麻生子八咫の公式サイト〜「麻生やた★子やた本舗」