草加小話

埼玉県草加市での暮らしで拾ったエピソードとそうでないエピソードを綴ります。

【再録】『モモタローの大冒険』は複数のおとぎ話を横断する母親探しの旅

草生人メルマガVol.048(1月25日号)」に、草加市文化会館で開催された音楽イベントについてのレポートを掲載しました。このイベント「歌とダンスのファンタジーV モモタローの大冒険~おとぎの世界をめぐって鬼アイランドへ~」は、市民参加による大きな舞台が見事に作り上げられました。
でもその内容がいかに画期的で面白かったかということはあまり語られていないように感じます。
そこで複数のおとぎ話を横断した冒険のストーリーの概要を、改めてこのブログに再録します。
また、次回の歌とダンスのファンタジーマジカル・ミステリー・ツアー~みんなの不思議旅行~(2015年1月25日)も、大いに期待したいと思います。

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■市民約70名と複数の市民音楽団体で作った大規模な舞台

 1月26日(日)、草加市文化会館ホールにて『歌とダンスのファンタジーV モモタローの大冒険~おとぎの世界をめぐって鬼アイランドへ~』が上演された。
 出演した市民たちは約70名。そのほかに合唱チームが2組とバレエチーム、よさこいチーム、そして草加市吹奏楽団、草加市演奏家協会、草加市音楽家協会の演奏家たちも登場した、たいへんに大規模な音楽イベントだった。

 開演前のステージは幕が下りていて、そこには市内のいたるところに貼られていたポスターデザインが描かれていた。
 だが、開演すると幕の向こうが透けて吹奏楽団と合唱チームの姿が見えた。光の調整で透過したり、映像が投影されたりするスクリーンだったのだ。
 スクリーンの上半分に虹の絵が浮かび上がり、「虹の彼方に」が演奏された。
 以後スクリーンは、場面展開に応じて投影される絵柄が変化したり、ときには透明になって演奏者たちをフィーチャーしたりしながら舞台美術としてストーリーをサポートしていく。
 このアイデアは「モモタローの大冒険」にとって必要な演出だった。なぜならば、この物語はモモタローとプリンセスかぐやという2人の主人公が、おとぎ話からおとぎ話へ、全く異なる世界へと飛躍し続ける冒険だからだ。

 ところでこの舞台、演者たちは役柄の衣装は着けているものの、演技するのではなく、台本を持ってセリフを「朗読」する。朗読だからこそ、多くの市民たちの出演が可能になった。朗読ではあるが、演者たちは口調にも表情や身振りにも情感が込められ、しっかりと役柄を演じていた。

■桃から生まれなかったモモタロー

 物語の概要はこうだ。

 おばあさんが川に行き、流れてきた桃をすくい上げようとしたときに男の子に出会った。その男の子を便宜上、桃から生まれたことにして、モモタローと名づけた。一方、山に向かったおじいさんは、竹やぶで光る竹の中から女の子を見つけたが、こちらはまあ宇宙人というところだろうと片付けた。おじいさんとおばあさん、そしてモモタローと「プリンセスかぐや」はいっしょに暮らすことになった。

 と、冒頭から、おとぎ話の解体と再構築が始まった。
 さて、モモタローの村は鬼に襲われるという危機に瀕していた。
 おばあさんは「村を守るためには外交と防衛(だったかな?)が大事」というようなまっとうな意見を述べ、モモタローは鬼アイランドに外交特使として、あくまでも相手の言い分を聞くために旅に出ることになった。プリンセスかぐやもいっしょだ。

 旅の乗り物は光る雲の車というキャラクター。空を飛んで旅をする。だが、いきなり落下し、ハワイの海中へ。そこは竜宮城だった。
 竜宮城では乙姫様に手厚くもてなしてもらう。

 ここで問題提起がなされる。乙姫様はなぜ浦島太郎に玉手箱を渡したのか。またなぜ玉手箱を開けて老人に変化したのだろうか。いろいろな説が紹介される。この考察は終盤への伏線だった。

 このように物語を分析する別の視点が随時導入される。分析・観察するキャラクターとして、未来から来たおとぎ話ハンター、認識番号8824(だったかな?)も登場する。

■モモタローのお母さんは乙姫様だった!?

 再び冒険に出発するモモタローたちだが、なかなか鬼アイランドに行けない。次の舞台は「くるみ割り人形」の城だ。
 モモタローとプリンセスかぐやは主人公、少女クララの行く末を見守る。
 そして次に「ヘンゼルとグレーテル」のお菓子の城に向かう。主人公姉妹の境遇に心を痛め、ハッピーエンドを見届ける。
 だがここから、「ヘンゼルとグレーテル」の再検討が大々的に行われることになる。
ヘンゼルとグレーテル」は本当にハッピーエンドだったのか。物語の発端である、お母さんが子供を森に捨てたという行為の理由はなんであり、また子供が帰ってきたあとお母さんにどんな心の傷が残ったのか。

 そもそも、おとぎ話にしばしば登場する悪いお母さんは、本当に悪いだけの存在なのか。そのお母さんたちにも言い分はあるのではないか。そこで、お母さんたちが「マザーランド」に集まり、集会が開かれることになった。
ヘンゼルとグレーテル」「白雪姫」「シンデレラ」のお母さんたちが次々に心情を語り、止むに止まれぬ事情があったことを弁明した。
 悪いお母さんも、やはり子供を生み、育ててきたお母さんだったことがわかった。

 そうなると、気になるのはモモタローのお母さんはいったい誰だったのか、ということ。冒頭で語られたように、モモタローは桃から生まれたのではなく、川辺に捨てられていた。つまりモモタローの冒険の隠された目的が、お母さんを探す旅でもあったことが明らかになる。
 ここで竜宮城の乙姫様が再登場し、重大な秘密を告白する。
 なんとモモタローのお母さんは乙姫様であった。そして父親は浦島太郎であった。
 乙姫様は竜宮城での浦島太郎との時間を超えた交流で子供を身ごもったのだ。浦島太郎はその事実を告げられないまま地上に帰ってしまった。

 乙姫様は赤ちゃんを出産するために海上に浮上し、川を遡った。そして出産したあと、たまたま居合わせたおばあさんに赤ちゃんを託した。
 この新事実を知ったおとぎ話ハンター、認識番号8824は、「スクープです!」と本部に緊急連絡した。

 複数のおとぎ話を横断して冒険したモモタローの魂の漂泊は、おとぎ話を連結、合体した母と子の再会という幸福な結末、至上のハッピーエンドに帰結した。
 そうなると、本来の目的であるはずの鬼アイランドで鬼と交渉する件はもはや余分なエピソードなのか、あっけなく成功し、鬼と人間の和平が確立した。登場人物全員参加で「ボラーレ」を歌って、大フィナーレとなった。

■特筆すべき朗読者たちの技術の高さ

 各おとぎ話の舞台では、それにふさわしい音楽やダンスが披露された。よさこい、フラダンス、バレエ、ジャズダンス、ヒップホップなど多種多様なパフォーマンスだ。
 そのパフォーマンスの多彩さ、ごちゃ混ぜ感は、日本民話もグリム童話も横断してしまうこの物語世界に見事にマッチしていた。
 そして特筆すべきは、朗読者たちの技術の高さである。
 モモタローもプリンセスかぐやも、光る雲の車も乙姫様も、すべての登場人物たちが明晰な発音で豊かな感情を表現し、それぞれの個性も際立っていた。

 以上、再演の予定もソフト発売の予定もないとのことなので、あえてネタバレをした次第である。