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草加小話

埼玉県草加市での暮らしで拾ったエピソードとそうでないエピソードを綴ります。

芭蕉の記念日に、草加の文学界と芸術界の重鎮の話が聞けた

草加 歴史

5月16日、「旅立ちの日記念 芭蕉翁像・曾良像『お身拭い』」というイベントが開かれた。

「旅立ちの日」とはどういうことかというと……。1689年(元禄2年)の5月16日は陰暦では3月27日であり、この日、松尾芭蕉が『奥の細道』の旅に出発したのであった。
この記念の日に、毎年行われるのが「芭蕉翁像・曾良像『お身拭い』」なのである。

 

曽良の記述では草加は素通り!?

まず午後1時30分ごろに草加宿のお休み処「神明庵」の2階で、草加ペンクラブ顧問で作家の松本孝さんによる講話が行われた。びっしり30人を超える聴衆が集まり。2階は満席となった。

テーマは「おくのほそ道と草加」。

松本さん自身による文章『芭蕉草加宿物語』をベースに松尾芭蕉草加宿について語った。

なにしろ「今回は少年少女の皆さんに松尾芭蕉草加宿についてお話したいと思います。」から始まる文章なので、じつにわかりやすい。

松本さんは『奥の細道』に草加が出てくる場面を紹介する。日光街道を北に向けて千住から旅を始めたのが3月27日(太陽暦5月16日)。その日のうちに千住に次ぐ第二の宿場町、草加にたどり着いたことが、記述されている。

だが、ここで同行した曽良の『旅日記』に、日付の相違があることを、松本さんは指摘する。

曽良の記述では3月27日は「カスカベに泊ル」となっているというのだ!

実は草加を素通りして春日部に泊まっていたということだろうか。芭蕉の勘違い? これは芭蕉草加を盛り上げようとしているわれわれ市民にとっては大問題だ。

だが、松本さんは芭蕉曽良は一緒に旅立っていない」という岡田喜秋さんの説(『芭蕉の旅路』より)を紹介してくれた。

曽良奥州街道の状況を調べるために、単独で1週間早く出発していたのではないか、というのである。

したがって芭蕉は千住から一人で歩き出して、ようやく草加の宿に辿り着いたのである。初日からいきなり荷物の重さの苦しみを切々と語る草加宿の下りには、一人旅という事情があったと考えれば合点がいくかもしれない。

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芭蕉について講話する松本孝さん

 

芭蕉像の準備期間は1年しかなかった

講話が終わり、参加者一同は神明庵をあとにして、曽良像のあるおせん公園へ。そこに麦倉忠彦さんご本人が登場した。草加芭蕉像、曽良像を始めとする数々の重要な作品を作った彫刻家である。

麦倉さんが挨拶をした。

1989年(平成元年)に完成した芭蕉像は、実は依頼されて1年間の準備期間しかなかった、と当時を振り返った。1年で芭蕉について勉強して、自分なりにイメージを作った。それは歴史学者によるイメージではなく、あくまでも彫刻家による芭蕉イメージだという。

たいへん興味がある話だったが、「詳しい話はまたどこかで」ということである。講演会でもあればぜひ駆けつけたいと思った。

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曽良像の前で挨拶する麦倉忠彦さん

 

曽良像の「お身拭い」が始まった。

えんじ色の今様草加宿ハッピを来た市の職員が、曽良像の台座によじ登って、濡れたタオルで丹念に拭きまくる。2008年完成の曽良像はほとんど汚れていないように見えた。職員の呼びかけで、参加者たちの何人かもいっしょに拭き掃除をした。

 

芭蕉像を拭いて交通安全祈願!?

次に一行は県道を渡って札場河岸公園へ。芭蕉像のお身拭いである。職員は脚立の上に立って、濡れタオルで熱心に顔や背中を拭う。シミのような変色部分があるが、どうやら青銅の変質が起こっているようで、完全にきれいにはならなかった。

「年季が入って味が出ている」という声があった。

神明庵運営協議会の青柳さんが「さあ、みなさんお身拭いに参加しましょう! 交通安全のご利益があるよ!」と叫んでいた。

「本当?」と怪しむ人に対して、「旅の神様だもの、きっとあるよ!」と笑って返していた。

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芭蕉像のお身拭いをする参加者のみなさん

さて札場河岸公園の望楼前では、和服姿の茶道協会の皆さんが、和菓子とお茶を振る舞ってくれた。

快晴の清々しい気候に誘われて、「お身拭い」と関係なく散歩する人たちも多かったが、市の職員は行き交う人をかたっぱしから茶席に誘い、和菓子とお茶を勧めていた。

たぶん和菓子は残ると困るのだろう。